RYOZAN PARKとわたし
- ハウス

私は、2024年6月から2025年4月までの約10か月間、巣鴨のシェアハウスであるリョーザンパーク(Ryozan Park, RZP)に住む機会がありました。その中で感じたこと、気づいたことを書いてみたいと思います。
シェアハウス
シェアハウスという言葉から想像していたのは、大学の寮生活のようなものでした。実際には、このRZPは、これまで所属してきた家族、学校、サークル、会社など、どの組織とも異なるコミュニティだったように思います。
家族のような雰囲気もありますが、それぞれの住人は経済的に自立しています。学校のように規則があるわけではありませんが、何か問題があれば住民会議などで話し合います。大学のサークルのように共通の目的があるわけではありませんが、同じ家に住み、キッチンで一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだりします。
学生よりも金銭的な余裕があるので、良いお酒や食材を買ってきて、派手にパーティーをすることもあります。もちろん、会社のような上下関係やしがらみはありません。

シェアの精神
RZPに入ってからよく耳にしたのが、「シェアの精神」という言葉でした。これは、キッチンやバスルーム、玄関や下駄箱など、住人全員が使う共有スペースをなるべくきれいに使うことから、他の住人にご飯を作ってあげたり、お土産を買ってきたりといった行動まで含まれます。
RZPでは、「この家では〜」といった会話もしばしば聞かれました。多くの住人がこの場所を一つの大きな家のようにとらえ、他の住人を家族のように思っているのかもしれません。
ただ、これはやや不思議なことでもあります。RZPのようなシェアハウスではそれぞれの住人は家賃を払って住んでいるのですから、本来それ以上のリソースを家族ではない他人のために割く必要はないはずです。自分が何かをしてあげたら、その見返りとして何かをしてもらえることを期待しているのかもしれませんが、それが確実に返ってくるという保証もありません。
また、そうした利他的な行動の程度は人によって異なります。自分が他人のことを考えているほどには、他人は自分のことを考えていないかもしれません。このような状況では、他人に何かをしてあげることのインセンティブ(経済的動機づけ)はそれほど高くないようにも思います。
それでも、完全に利己的にふるまう人はほとんどおらず、「シェアの精神」は決められた規則ではなく守るべき美徳として自然と尊重されているように感じました。このような雰囲気は、RZPを単なるシェアハウス以上のものとして住民が考えているからこそ、成り立っているようにも思います。
多様性
私は会社勤めを10年ほど経験したあと大学に移ったため、社会的な視野が狭くなりがちでした。しかし、RZPには他の業種で働く人や、まったく異なる職業の人たちが多く住んでいました。
クリエイティブな仕事をしている方も多く、そうした人たちの話を聞くのはとても面白く、自分とは異なる価値観や視点を知ることができました。
日本人以外にもさまざまな国籍の方がいて、英語や他の言語も日常的に飛び交っていました。外国籍の住人は日本語が非常に上手で、そのため私の英語はあまり上達しませんでした。
年齢差や性別、国籍などの違いはありますが、その中で共通する価値観もありました。かわいい/かっこいい、かしこい、というだけでなく、「面白い」と言われることに価値がある、そんな雰囲気があるように感じました。

人間関係
ムードメーカーの周りに人が集まる傾向はありますが、必ずしもその輪に加わる必要はありません。長く住んでいた人が出ていき、新しい人が入ってくることで人間関係は絶えず変化し、そのスピードも比較的速いです。ある人たちの人間関係が、他の人との関係性にも影響を与えることもあります。
住人同士はすぐに仲良くなることが多いですが、そうならない場合もあります。集団生活である以上、人間的な相性の良し悪しは避けられず、時には衝突が生じることもあります。しかし、問題が大きくなりそうだと感じたら、みんなでそれを解決しようとする傾向も強く感じられました。
私がRZPに住んでいたのはわずか10か月でしたが、この10か月は事前の想像を遥かに超えた濃密な体験でした。これほどの密度の時間を家族以外の仲間と過ごしたことはこれまでになく、今後もおそらくないのでは、と思います。このようなすばらしい時間を過ごさせてもらったことに、心から感謝しています。