宮台真司による「界隈塾」 vol.0

【界隈塾がスタート!】
宮台真司が都立大学を退官後、4月から3つの塾を走らせます。
「思想塾」「荒野塾」そして「界隈塾」です。
沈みゆく社会の中で、集合知を作り、仲間とともに生きる。
仲間とは誰なのか? 界隈とは何か?
なぜ、こんなにつまらないのか? [つまらない人=クズ]だらけの、[つまらない社会=クソ社会]。これを概念化できる語彙は、帝国主義的領土拡張戦で外に触れた19世紀末からの人類学と、その影響を受けた社会学にしか、ありません。
宮台真司が都立大学を退官後、4月から3つの塾を走らせます。
「思想塾」「荒野塾」そして「界隈塾」です。
沈みゆく社会の中で、集合知を作り、仲間とともに生きる。
仲間とは誰なのか? 界隈とは何か?
なぜ、こんなにつまらないのか? [つまらない人=クズ]だらけの、[つまらない社会=クソ社会]。これを概念化できる語彙は、帝国主義的領土拡張戦で外に触れた19世紀末からの人類学と、その影響を受けた社会学にしか、ありません。
主に映画批評連載と性愛論連載の場で概念化に努力してきましたが、目途が付いたので、コロナ禍を機に旧本務校での宮台ゼミと宮台講義(社会学原論と社会意識論)は全て「つまらなさ」をキーワードにするように全面刷新しました。
つまらなさとは、力を奪われる状態。反対が、わくわくで、力が内から湧く状態。さて、「つまらない(力を奪う)」と「わくわく(力が湧く)」を最重要の二項図式とした初期ギリシア。哲学史では、力は息や光としても表象されてきました。
ギリシャを参照したニーチェ&ハイデガー以降の現代哲学やそれを端緒とするフランス現代思想は、近代哲学(メタ万物学)=力を奪う、現代哲学(万物学)=力が湧く、として近代が力が湧かないものになるしかない理由を考察してきました。
今後の宮台ゼミは、上記の思考を学問で深掘りする「思想塾」、社会という荒野(上記のクソ社会)を仲間と生きる実践を学ぶ「荒野塾」、そして学問的素養の分野と有無に拘らず⟨そばにいて力が湧く存在⟩が繋がる「界隈塾」の、3本立て。
いま口上を寄せている「界隈塾」は、以前の宮台ゼミに人類学者奥野克巳先生が幾度か参加されたことで宮台ゼミ界隈と奥野ゼミ界隈が繋がり、新たな界隈が出来たのが出発点で、⟨そばにいて力が奪われる存在⟩を排除する界隈です。
だから対面参加は⟨そばにいて力が湧く存在⟩であることを証言してくれる紹介者が要りますが、「界隈トーク」の模様はオンラインで公開するので、見てみて対面参加したくなったら、メンバーの誰かと友達になることから始めて下さい。
と言われると、⟨そばにいて力が湧く存在⟩になるってどうなること? 自分は⟨そばにいて力が奪われる存在⟩になってないか? と考えますよね。そう。界隈塾はそんな風に、情報を開くより、内から湧く力(intrinsic power)を開きます。
宮台真司