「現代の梁山泊」
巣鴨・大塚 RYOZAN PARK
ーこころざしをここからー

巣鴨・大塚RYOZAN PARKは、「現代の梁山泊」。
こころざしのあるものが集い、実現していく拠点となります。

RYOZAN PARKとは?

ころざしの拠点

こんなことをやってみたい。こんな生き方をしてみたい。こんな社会を創りたい。十人十色の「こころざし」を、それぞれが実現させてゆく。「こころざし」が集いあうことで、そこから社会を変えてゆく。RYOZAN PARKは、「こころざしの拠点」です。

RYOZAN PARKの名前は、一人の男が少年時代にわくわくしながら繰り返し読んだ「水滸伝」の舞台、「梁山泊」に由来します。黄河流域の大沼沢のほとりにあって、アウトローな豪傑108人が集結し、世直しの志を掲げて生気躍動した山岳拠点。

腕力に勝るもの、知力に秀でるもの、武術や妖術に長けるもの、人望に富むものなど多彩な個性がぶつかり合い、ひとつ束になりながら世の中をダイナミックに揺るがしてゆく「梁山泊」の物語は、いつしか男の原風景となり、理想となり、2011年、RYOZAN PARKが「現代の梁山泊」として巣鴨・大塚に誕生しました。

巣鴨・大塚というエリア

JR山手線の北側にある巣鴨・大塚は、RYOZAN PARKと、もともと縁(ゆかり)の深いところ。その土地柄が浸透して、RYOZAN PARKらしさの土台になっています。

このエリアの特徴は、一つは、ビジネス街や繁華街にアクセスしやすい利便性です。例えば、巣鴨ー池袋は5分、巣鴨ー新宿は14分、巣鴨ー大手町は12分です。一方で、駅前には庶民的な商店街やスーパー、各種の施設、住宅地には公園が点在するなど毎日の買い物や子育て、息抜きに困らない生活環境が充実しています。

実際、RYOZAN PARKのメンバーには、子育て中の人が少なくありません。大塚に住んで、自転車でオフィスに通勤し、帰りがけには商店街に立ち寄って夕飯のおかずを買って帰る。子供の送り迎えもこのルート上と、すべて自転車で回れる圏内で。「働くこと、暮らすこと」をバランスよく両立できる、そんな暮らしが可能なのです。

また、RYOZAN PARKは、もともと地域との長い関わり合いの中で、歴史を刻んできました。イベント行事や地域活性化への取り組みなど、商店街や住民の人々、自治体と日常的にさまざまな交流を通して、近隣の人たちと出会えば、スタッフだけでなくメンバーも、フランクに「こんにちは」と声を掛け合える関係性を築いてきました。地域と結びつくことで、RYOZAN PARKは、安心して働き、暮らせる環境を育んでいます。

「働く」「住む」「学ぶ」「イベント」
の複合拠点に

RYOZAN PARKは、2012年に、シェアハウス&シェアオフィスからスタート。「暮らす&働く」拠点として始動しています。3年後、シェアオフィスやコワーキングスペースを備えた「働く」拠点、RYOZAN PARK 大塚が誕生しました。やがて、「イベント」空間が創られ、アート展示やスポーツ、勉強会などさまざまなイベント機会が増えていきます。

現在、RYOZAN PARKは、こころざしを持つ人がその人らしくトライできる「働く」「住む」「学ぶ」「イベント」の複合的な拠点として、スペース(機能)やイベントを充実させながら、進化。4つのオフィス棟、一つのシェアハウス、6つのイベントスペースの11拠点を、RYOZAN PARKのスタッフたちが、コミュニケーション、インキュベーションという役割を兼ねながら
メンバーとともに、RYOZAN PARKの運営向上に努めています。

RYOZAN PARKは変容しつづける

もっとも、ここまでなら、数あるオフィスのよくあるケースかもしれません。他とはちょっと違うRYOZAN PARKのユニークさは、オーナー&スタッフ、メンバーの間に垣根がないこと。時には、RYOZAN PARKのメンバーOBOGや縁ある人々が加わって、日常的に、時には深く関わり合いを持ちながらいまのカタチへと発展、変容させてきたことです。

例えば、託児所付きオフィス(※)が生まれた背景には、シェアハウスで出会って結婚したカップルやOBOGメンバーたちの「みんなで一緒に子育てをする環境があるといいな」という思いがありました。一方、RYOZAN PARKのスタッフも、働く女性を応援したいと模索を続けており、よし、それならメンバーもスタッフもみんなで一緒に考えようということになったのです。

どんなふうに働きたいのか。どんなふうに子育てしたいのか。カップル、若者、シングルママ、留学生、そして RYOZAN PARKと縁あるOGOBたちが車座になって、言いたいことを自由に言い合い、知恵を出し合いました。

そうして誕生したのが、RYOZAN PARK OTSUKAの託児所付きオフィス(現 RYOZAN PARK montessori)。ごちゃ混ぜのこころざしがRYOZAN PARKに寄り集い、一つの理想をカタチにした第一号でした。

施設の設備は、直接届くメンバーの意見を反映し、ドアの蝶番の不具合など小さなメンテナンスから、レイアウト変更など大きなことまで常に改善、アップデートされ続けていますし、イベントや講演会では、日常的なメンバー交流からふとしたことで発案され、運営していく企画が少なくありません。

メンバー同士が意気投合し、「あっ、それ一緒にやれば面白そうだね」と、新たなビジネスプランが芽生えることもよくあること。もちろん、誰もが同じポテンシャルでRYOZAN PARKに関わっているわけではありませんし、意見の相違もあれば、失敗だって数々あります。でも、それでいい。メンバーそれぞれの持ち味で、ささやかでも力をシェアしあうことをRYOZAN PARKでは大切にしています。

一方、RYOZAN PARKのこころざしに共鳴して、外部から積極的に力を貸してくれる人々も増えています。巣鴨、大塚を中心に地元地域とのコラボ企画が生まれたり、時代を先取りした斬新な新ビルが誕生するなどRYOZAN PARKの可能性をさらに広げるような、新たな展開も起こっています。

訪れる参観者が、「ユニークですね!」と目を丸くして矢継ぎ早に質問を繰り出すのは、そうしたありようが、オフィスの空間設計や雰囲気、会員メンバーの働きぶりや何気ない会話など、RYOZAN PARKのあちらこちらに見て取れるからなのでしょう。

スタッフは、たっぷりと説明をしてなお足りないRYOZAN PARKの特徴を、「結果、こうなっちゃったんですよね」という言葉で締めくくるのですが、まさに、成る。RYOZAN PARKは、生き物のようにしなやかに、発展、変容し続けています。

RYOZAN PARKはごちゃまぜ

過去、RYOZAN PARKに集いあった人々は、1000人以上。現在、ここで活動しているメンバーは、300人以上です。仕事やジャンル、人種や国籍、セクシャリティや年齢は、驚くほど多様。ダイバーシティーを字でゆくコミュニティーです。

アプリの開発者、若い建築家、IT起業家、彫刻家、花屋さん、街づくりアドバイザー、弁護士、WEBデザイナー、卵を売る人、写真家、介護福祉者、経営コンサルタント、変幻自在なライター、漫画家、フリーライター、社労士、教師etc.

第一線の企業もあれば、仲間数人のスタートアップ企業、フリーランスもいます。こころざしに向かって最初の一歩を踏み出そうとする若者もいれば、遠い国からやってきて、勉学に励む留学生もいます。多種多彩な人がいる分だけ、こころざしも価値観もごちゃまぜなのです。

だからこそ、とてつもないエネルギーが生み出される。思わぬ出会いや予想外の出来事が起こり、それが、一人一人の自分のこころざしを実現させていく契機になっていく。他者のこころざしに共感し、応援し、助け合い、分かち合う関係ができていく。

一つのこころざしは、一つの小さな車輪のようなものです。いくつもの車輪が噛み合えば、大きな力を生み出すように、RYOZAN PARKに集うこころざしの総和が、世の中を動かしていく。最初に描いたビジョンが、少しずつカタチになり始めています。

RYOZAN PARKの人間らしさ(ヒューマニティ)

RYOZAN PARKには、キッチンが装備されています。なぜ、オフィスにキッチンなのか?それは、RYOZAN PARKが「人間らしさ」を何よりも大切にしているからです。「食べること」が最も人間らしい行為であり、どんな活動も人間関係も、「食べること」から始まるという信念(考え方)をスタート時より貫いてきました。

実は、ここがRYOZAN PARK の最大の特徴かもしれません。実際、さまざまなパーティーやランチの提供、飲食関連の試食会やデモンストレーション、ときにはメンバー会社が取り組む商品開発まで、大小さまざまな「食べること」が、このキッチンで起こっています。
ともに食べて飲んで、うまいうまいと笑顔になって胸筋を開いて、大いに語り合い、喜怒哀楽を分かち合えることは本来、私たちが求めている幸せの原点なのではないでしょうか。

「同じ釜の飯を食う」。決して、こころざしと無縁ではないはずです。

現代社会は、誰の手によるものかわからない経済合理性や効率に支配されています。RYOZAN PARKは、そこからちょっと距離を置いて、素朴な「人間らしさ」を大切にしたい。これから世の中を変えていく真に新しい価値観とは、「人間らしさ」にこそ根っこがあると信じているからです。

なぜ「梁山泊」に喩えるのか?

梁山泊とは、中国明代の伝奇小説「水滸伝」の舞台となった地名です。黄河が氾濫を繰り返して出来上がった大沼沢で、宋江を頭目に108人の豪傑が集結し、一騎当千、世の中を躍動させてゆくのです。

その善悪を超越した個性的な人物像や物語のダイナミズムが、日本でも多くの心をつかみ、有志の巣窟の代名詞として、しばしば使われてきました。トキワ荘が「マンガ家の梁山泊」と、平塚らいてふが関わった明治期の「青鞜」が「女梁山泊」と呼ばれたように。

巣鴨・大塚 RYOZAN PARKは、この世界観を下敷きにした、まさにいまここからの現代バージョン「現代の梁山泊」です。水滸伝に登場する無軌道な豪傑こそいませんが、この世の中に疑問や飢えやつまらなさを感じ、「これをやってみたい」「こんな生き方をしてみたい」「こんな社会を創りたい」というふつふつ湧き出る欲求を抱き、新しい価値観で変化を求める人たち(幸せを築こうとする人たち)が、まさにここを巣窟に躍動しています。

RYOZAN PARKが大切にしている
4つのこと

まず、こころざし(ambition)です。

2つ目は、人間らしさ(humanity)です。
AI時代に入りました。世界は変わっていくでしょう。だからこそ、RYOZAN PARKはいまここにいる生身の自分、そして血のかよう他者との関係を尊重したい。人間らしさとは何か? その問いを繰り返しながら、理想を求める RYOZAN PARKでありたいと思います。

3つ目は、分かち合うこと(sharing)です。
一人だけでは生きづらい世の中で、シェアという考え方が浸透しつつあります。RYOZAN PARKのシェアは、もたれ合わないけれど、必要な時は力を分け合い、助け合う精神を大切にします。

4つ目は、自由(liberty)です。
自由という言葉は、安易な説明を退けるある意味得体の知れない言葉でしょう。だから、RYOZAN PARKでは、一つにはこんな解釈をしています。自由とは、壁を超えていくこと。RYOZAN PARKが、ごちゃまぜなメンバー構成になっていることは、その一つの証です。

巣鴨・大塚エリアの土地柄

巣鴨・大塚の成り立ち

台地と谷の起伏に富んだ地形。北は荒川、南は多摩川。この二つの川にはさまれた武蔵野台地の東端、豊島区東部に位置するのが巣鴨・大塚エリアです。山手線では駅が隣り合い、歩いても20分という近距離ですが、台地と谷の起伏が織りなす変化の富んだエリアになっています。
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2つの顔を持つ巣鴨

巣鴨は、江戸時代まで一帯が野菜を産する農村地帯でした。採取した種を売る「たねや」や菊やツツジなど植木を売る「植木屋」でその名が知られる一方、日本橋を起点とする旧中山道が通る交通の要衝でもありました。最初の板橋宿の経由地として、いち膳飯屋や茶店などで賑わう「立場」が形成され、近隣からも人足を集めたと言います。現在、巣鴨駅北側にのびる「刺抜き地蔵通り商店街」がそのあたり。和菓子屋さんや雑貨屋さんなど個人店が軒を連ねる街並みの独特の懐かしさが、観光客を集めているのはご存知のとおりでしょう。

駅の南側、六義園へ向かう一画は「大和(やまと)郷(むら)」と呼ばれ、古くは大名の武家屋敷が並び、明治時代には岩崎弥太郎ら旧三菱財閥系の要人も居を構えた地域でした。現在は閑静な住宅街が広がり、北側とは異なる趣を見せています。
北と南を繋ぐ巣鴨駅周辺には、駅併設のアトレヴィ巣鴨、北口には西友巣鴨、南口にはサミットストアなど商業施設が充実し、住民のショッピングを支えています。

多彩な商店街で活気付く大塚

大塚は、大塚駅周辺を歩けばわかりますが、坂道の多い街。大塚駅のロータリーに向かう多くの道は下り坂になっていますが、これは谷端川によって形成された土手や段丘の名残です。江戸時代まで長く農村地帯であったこの地域は、明治時代には多くの牛乳生産牧場ができ、東京近郊では屈指の酪農地帯となっていました。

明治36年、山手線の前身である豊島線が開通したのをきっかけに、その後都電荒川線が敷設され、大塚駅は山手線と都電が接続する唯一の駅となりました。その便利さから、周辺地域からも人が集まり、三業(料理屋、芸妓屋、待合)が集合するいわゆる「花街」が形成されました。最盛期の勢いは神楽坂を凌ぐほどだったと言います。

現在は、かつての花街の面影を残しつつ、商業地としても発展。駅北口の星野リゾートホテルの「OMO5東京大塚」、「アトレヴィ大塚」など大型商業施設を中心に、ロータリーから四方にのびる個人商店が軒を連ねる商店街では、それぞれのカラーを活かして音楽イベントなど地域活性を目指す様々取り組みが行われ、活気付いています。

利便性と暮らしやすさ

巣鴨・大塚はともにJR山手線の北側に位置し、巣鴨は都営三田線、大塚は都営荒川線と接続しています。池袋や新宿、大手町などビジネス街・繁華街にアクセスしやすいのが特徴です。

駅前周辺には商店街、飲食店やスーパー、少し歩けば広がる閑静な住宅地、公園が点在し、図書館や体育館など公共施設も充実。古くから根付いてきた庶民的な生活環境が暮らしの安心を支えています。ほとんどが、自転車で回れる圏内にあることで、食中接近。仕事と子育ての両立も可能にしています。

RYOZAN PARK ヒストリー

2011

始まり

東⽇本⼤震災 沈みゆくこの国で、どうすれば皆が幸せに⽣きてゆくことができるのだろう?⼀⼈の男のこの問いが、RYOZAN PARKのスタートでした。
震災直後、CNN、FOX、ABCに在ワシントンD.C.の日本人としてインタビューされるも何もできない自身に憤りを感じる。

2012

2012年、「こころざし」を立てる

ワシントンD.C.で新聞記者をしていた男は、生まれ育った東京・巣鴨に戻り一つの「こころざし」を立てます。ここ巣鴨・大塚に、志ある豪傑が集い、助け合う拠点を作りたい。ひとりひとりのこころざしが、歯車のように噛み合って、とてつもないエネルギーを生み出す場所に育てたい。男の頭の中には、幼少期から親しんだ「水滸伝」の物語がありました。
震災から4ヶ月後の2012年5月。アメリカから被災地支援として石巻や気仙沼を訪問。東北などで英語教師をしていたアメリカ人の仲間たちと,被災地の子供達の為にも活動を始める。

2012 - 現在

「働く」「住む」「学ぶ」「イベント」の拠点に

RYOZAN PARKは、こころざしを持って生きる拠点。「働く」「住む」「学ぶ」「イベント」の場面に合わせ、拠点が次々と創られていきました。

2012

巣鴨
RYOZAN PARK

シェアハウス&シェアオフィス(巣鴨)オープン

「我が家のように、安心して1日のスタートを切り、帰ってこられる場所」となることを願って、単身者向けシェアハウスをオープン。シェアオフィスも併設してスタートしました。

2015

大塚
RYOZAN PARK OTSUKA

働く場所も、個々のワークスタイルに合わせて選ぶ時代へ。個室オフィスやコワーキングスペース、固定席など多様なスペースを備えた2拠点目を大塚にオープン。プリスクールの先駆けとなる施設も併設しました。

2019

巣鴨
RYOZAN PARK ANNEX

ビジネス使用だけでなく、勉学にも集中できる3拠点目を巣鴨にオープン。コンパクトで機能性を高めた各種スペースから、自分のワークスタイルに合わせて組み合わせて選べるプランを充実させました。

巣鴨
RYOZAN PARK LOUNGE

会員同士がフランクに交流でき、創造性を刺激しあえるオープンな場所として、カフェ付きラウンジを巣鴨にオープン。打ち合わせや商談、セミナーや懇親会に幅広く利用され、数々の新たな連携や活動が生まれています。

2020

巣鴨
RYOZAN PARK GRAND

シェアハウスと同じビルに、本格的なシェアオフィスを拡張してオープン。独創的な内装に、プロ仕様のキッチンやギャラリー、イベントスペースなど多彩な施設を設け、幅広く活動を支援する環境を充実させました。

2024

大塚
RYOZAN PARK GREEN

「サスティナブル」をコンセプトに、これまでにない施設を5拠点目としてオープン。「都会の中の緑豊かな山」のような空間には、少人数のオフィスのほか、実験室(Lab.)機能を兼ね備えた会議室、コラボレーションスペースを併設。未来に繋げるチャレンジを応援します。

RYOZAN PARKはこれからも変容しつづけます。

RYOZAN PARKの人々

多様多彩なごちゃ混ぜ世界

RYOZAN PARKの⼈々は、仕事やジャンル、⼈種や国籍、セクシャリティや年齢は、驚くほど多様多彩。アプリ開発者、若⼿建築家、IT起業家、卵を売る⼈、彫刻家、花屋さん、街づくりアドバイザー、弁護⼠、WEBデザイナー、介護福祉者などなど、ダイバーシティーを地でゆくごちゃ混ぜなコミュニティです。