ラブ・エシック – 愛の倫理 –

2012年のオープン以来、Ryozan Parkは様々なメディアや企業、自治体などから多くの注目を頂いてきました。皆さんは、なぜ私たちのコミュニティが今のように発展を遂げたのかを知りたがっていました。そして、このコミュニティのメンバー達は、オフィスや住居サービスを必要としなくなった後でも、なぜこのつながりを持ち続けようとするのか、ということも。通常、私は、それはこの小さなビジネスがコミュニティ内部にいる近親者達の手と、家族によって運営されているからだと説明しています。2012年の創業初期に、義母がシェアハウスのメンバー達のために料理を振舞って、ついにはそれがきっかけでそれぞれが料理をするようになり、共に食卓を囲むようになったことなども。シェアハウスでの出会いにより、何組も結婚し、赤ちゃんが誕生したこと(少なくとも17例はあります)など。そうしたことをお話しするようにしているのですが、まだそこにはハッキリとは言いきれない、何かがあるのです。それはおそらく、私たちのビジネスの手法に関わることかもしれません。

 

“主教が、「愛こそがやり方である、という世界を想像しなさい」と呼びかけたのです。その世界とは、家庭、家族、近所やコミュニティ、政府、国家、そして企業にいたるまでです。”

 

私は別に王室ファンではありませんが、この間の夏、ハリー王子とメーガン・マークルの結婚式の中継を見る機会がありました。そこで、世界を感動させた、マイケル・カリー主教の「愛が持つ変革の力」についての説教を聞きました。宗教の経典から奴隷制度に至り、市民権運動からツイッターまでの歴史を網羅して語られていきました。そこに込められたメッセージの中で特に私が親近感を覚えた箇所がありました。主教が、「愛こそがやり方である、という世界を想像しなさい」と呼びかけたのです。その世界とは、家庭、家族、近所やコミュニティ、政府、国家、そして企業にいたるまでです。そして、その世界で流通する貨幣は「愛」なのです。私は、中継を一緒に見ていた部屋中の人々が、その大胆な発想に息を呑むのが分かりました。けれども、私にとっては、それは初めて聞く概念ではなかったのです。

私が初めて「ラブ・エシック:愛の倫理」という言葉を知ったのは、社会批評家で作家のベル・フックスの作品の中でした。彼の一冊の論文が手元にやってきたのは、私が長女を身籠っていた時のこと。その当時、私は「愛」と呼ばれるものの定義やその事象について、よく考えを巡らせていたものでした。フックスは、「愛」を実践ととらえ、コミュニティや政治、経済、そして社会正義システムの基盤とすべきだと論じています。私は子供の頃に参加した教会での説教のほかに、このような考え方に出会ったことはありませんでした。ノリに論文の引用を見せると、彼は、私が考えていたことをまさしく言い当てました。「これって、僕たちがやってることみたいじゃない?」

「愛」を基盤とした経済について書かれている文献は、そう多くはありません。グーグルの検索結果でも、その多くが宗教に関するものであったり、ニューエイジの考えで書かれたものです。(ここで強調しておきたいのですが、私が語ろうとしている愛の倫理とは、あくまで世俗的なものです。ヒッピー系のフリーラブだったり、慈善団体だったり道徳的なものとは異なります)。さらに言えば、同様のモデルを説明する別の言葉も色々とあるようです。例えば「トリプル・ボトム・ライン」や「意識的資本主義」などは、いずれも消費者や顧客の生活の質を向上させるために起業する、という目標を共有しています。「企業の社会的責任(CSR)」とは、最近よく聞く言葉ですが、企業が行う様々な自己規制を意味するもので、倫理的な製造や環境の為の持続性や慈善的な分野を表す際に使用されます。しかしカリー主教は、商品を作り出す過程で生まれる社会的・環境的なダメージを相殺するために愛の倫理を語ろうとするのではなく、「愛」こそがビジネスの出発点であり、通過点でもあり、終着点でもある、という世界を描いてみせたのです。

 

“人間としての私たちは、日々の交流の中で愛情の豊かさや、愛情不足を体験して生きています”

 

今の時代、「愛」という言葉はビジネスや公共機関などの、真面目な物事の文脈では鼻で笑われがちですが、人間としての私たちは、日々の交流の中で愛情の豊かさや、愛情不足を体験して生きています。実はそれが消費傾向や職場での体験、コミュニティへの参加、家族生活に影響を与えているのです。むしろ、これほど普遍的でダイナミックな社会的勢力が、ビジネスにおいてほぼ無視されていることの方が奇妙だとは言えないでしょうか?

そうこうしているうちに、私のリサーチは、愛を基盤とする公共サービスをテーマとした様々な学術論文に辿り着きました。例えばスウェーデンの介護事情や、オーストラリアでのソーシャルワークなどです。そして、そのミッションの中に「愛」を前面に掲げる企業達にも出会いました。カナダの持続可能性を追求する住宅専門会社Future Proofは、「利益を生み出す愛を基盤とする経済」という彼らのビジョンを掲げています。それは持続可能性、責任の所在をはっきりさせること、環境保護に注力するという考えです。それからポジティブな影響を社会に与える映画作家のグレッグ・ハミングス。彼の自己存在をかけた目的は、現行の「貪欲な経済」を「愛の経済」に変換させる必要性を人々に訴えかけることだそうです。こうした人々のビジネスモデルでは、人間、健康、幸福、環境が最も大切にされているのです。

 

“それは昔ながらの家族経営の不動産賃貸会社が行った、新しい世代における初の試みでした。”

 

では、私達のRyozan Parkは「ラブ・エコノミー(愛の経済)」なのでしょうか?多分、そうかもしれません。おそらく、それは偶然に。もちろんこの私達のプロジェクトは、いわゆる高尚な思想を基にして生まれたものではありません。私たちの目標はコミュニティ作りです。それは昔ながらの家族経営の不動産賃貸会社が行った、新しい世代における初の試みでした。コミュニティの構築、人事のマネジメント、メンバーの危機管理などに対しての準備は当初は全くありませんでした。出来事が起きてから、その時の必要性に従って対処してきたのです。しかし、今になってみるとラブ・エシック(愛の倫理)は、役員たち(例えば私の義理の両親たちです)の本能的な経営方法であったように思えるのです。彼らが、それぞれのテナントや住人達、雇用者に対し愛と尊敬をもって交流するのを見ることで、私は学んでいきました。また彼らは、それぞれの存在が貢献しあうことでコミュニティを強化し成長させ、やがてビジネスに価値を与えるだろうことを信じていたのです。私達の顧客や雇用者が不幸であったり、健康状態が悪かったり、経済的または感情的に苦しんでいる時があれば、それは私達にとって他人事ではありません。当たり前ですが、できる限り助けようとします。もちろん、いつもそれが可能とは限りません。上手くできるとも限りません。でも、私達は、私達が心から抱く「人々が調和しながら生活し、働く場所を提供したい」という思いが、いずれコミュニティ内部の人々に伝わっていき、内部のメンバー同士のやり取りや、彼らのコミュニティの外でのやり取りにまでも波及効果を与えていくことを願っています。マニフェストもなく、道徳やルールに縛られる訳でもありません。「誰にとっても正しい」とは言いきれませんが、少なくとも私たちは「人間らしさ」と「真心」を相手に差し出すことができます。そして、私はそれこそがまさに、私達に出来る最初の一歩だと思うのです。



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