コミュニティマネージャープロフィール《浦長瀬》

コミュニティマネージャープロフィール《浦長瀬》

浦長瀬紳吾(31)がRYOZAN PARKの正社員となったのは、2018年4月のこと。現在、コミュニティマネージャーとして、来客やメンバー対応、建物管理、営業活動などを担当している。週4日1日6時間勤務という労働条件で契約したのは、もうひとつの仕事と両立させるためであり、ワーク・ライフバランスを考えてのことだった。

浦長瀬さんの出身は奈良県。1991年、工務店と林業を営む浦長瀬家の長男として誕生した。近所づきあいが活発な町で生まれ、幼いころから人と接するのが大好きだった。地元で義務教育を終えたあと、近畿大学附属高等学校へ進学。その理由は、幼稚園から仲の良かった友人が進学先として選んだから。勉強は苦手で、放課後が待ち遠しい毎日だったという。卒業後、近畿大学理工学部電気電子工学科へ。就職率が高いこと、やはり友人が一緒だったことがその理由である。自身が語るように、学業への強いこだわりがなく、自己主張もしない学生時代だったようだ。

大学時代に取り組んだことのひとつは、アカペラ。「浦長瀬は敵を作らないから」という理由で、総勢100人にもなる大学サークルの部長に選ばれた。このころから、人と人との間を取り持つことに喜びを感じ、得意なことだと思うようになった。運動不足を解消するため、ランニングも始めた。

大学の教授の推薦でNECフィールディング株式会社に内々定をもらい、そのまま就職した。大学卒業まで家族とともに奈良の実家で過ごしていたが、就職を機に上京し、一人暮らとなった。担当はITネットワークインフラの設計構築業務である。依頼元は官公庁や大手企業など。全国各地へ出張し、連日夜遅くまで夢中で仕事に打ち込んだ。仕事へのやりがいを感じる一方、地元で接してきたような近所づきあいもなく、日々向き合うのは機械ばかり。一抹の寂しさも感じ始めていた。

そんな折、奄美大島への出張を命じられた。東京からも奈良からも離れた南の島へ出向くのは初めてのこと。思わずテンションがあがり、友人たちにふれ回っていたところ、奄美大島へ行ったことがあるという人が現れた。2010年に起こった土砂災害の際、学生ボランティアとして活動していた人たちから、3通の手紙を託された。現地の人たちに、一緒に活動した仲間に届けてほしいと。続けてきたランニングも生かせるし、遠方に暮らす人たちの橋渡し役もできる。わくわく気分で奄美大島へと向かった。

会社の出張業務を終えたあと、島に残った。島の人たちへの手紙を届ける途中、災害現場を訪問した。その後どんなふうになっているか、友人が心配していたからである。彼の代わりにその様子を見届け、写真や動画に収めた。

島を駆け抜け、いよいよ受取人宅へ。携えた手紙を渡すと、そのメッセージに涙ぐむ人たちに驚いた。遠路はるばる東京からうれしい便りを届けてくれたと、あつく感謝されたのである。差出人にも受取人にも直接会い、手から手へとつないだことが、こんなにも人の心を動かすなんて、思いもよらなかったことだ。持ち帰った写真や動画は、東京の友人に届けた。

奄美での出来事は昔を思い出させた。人と人とはもっとつながっていたはず。少なくとも、生れ育った町では、その実感が持てていたのである。長年、胸の奥底にしまっていた何かが再び溢れ出した。彼らの気持ちに応えたい。人々の思いを届ける走りがしたい。

2016年3月末、3年間勤務した会社を退社し、『想いが旅する飛脚便』を起業した。

依頼者の要望に応じ、手紙にあらゆる付加価値をつけ、彼らの想いを形にする。やりたいことは明確だったが、もはや自分で稼がなければならない立場である。若さゆえの勢いで飛び込んだが、すぐに収入に結びつかなかった。アルバイトとして、ランニングインストラクターのほか、テレアポにも挑戦。モデルプロダクションにも登録し、糊口を凌いだ。

そんな時間が続くなか、とある経営者交流会でRYOZAN PARKのメンバーと出会い、事業について相談した。それがきっかけで、RYOZAN PARKで事務所を構えることになった。

2017年暮れ、家賃の支払いにも窮する事態に陥ってしまう。応募していたビジネスコンテストの優勝も逃し、気持ちも折れかかっていたころである。なんとかアルバイトを増やそうと、スポーツジムの仕事に応募した。面接を翌日に控えたタイミングで、RYOZAN PARKのコミュニティマネージャー(浦長瀬さんの前任者)から、ここで働かないかと連絡が入った。ふたつ返事で引き受け、ジムの面接を断った。

ちょうど結婚も意識していたタイミングだっただけに、安定した収入を得ることの必要性も痛感していた。しかしながら、自分のビジネスも進めていきたい。足元を見据えつつ、将来への希望につなげる、そのための働き方を選択したのである。

RYOZAN PARKのメンバーは、仕事とプライベートの両立を目指す起業家が多いと、運営側についてみて気づいたことだった。彼らからの刺激を受け、自分の生き方や考え方を見直すようになった。

2018年に結婚、2019年には第一子を授かった。フルタイムで働く妻と、生活資金をお互いに同額を出し合い、家事も育児も二人三脚で乗り切る日々。普段はRYOZAN PARK の仕事を4時半に終え、急ぎ家に戻り、パパ業に励む。今年の秋には第二子が生まれる予定で、今後も浦長瀬流を貫くようだ。令和時代の働き方、暮らし方の見本となるカップルといえそうだ。

きらりと光る白い歯が印象的で、終始物腰やわらか。どんな質問にも穏やかに、笑顔で返してくれる。そんな彼の中に、見え隠れするパッションとエネルギー。『想いが旅する飛脚便』は、今日もどこかで走り続けている。

取材・文 伊藤ひろみ



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